プロ野球界の特に有名な兄弟のプレイヤーを紹介していきます。
新井兄弟
まず紹介するのは、兄の新井貴浩、弟の新井良太の兄弟です。
概要紹介

「新井さん」こと新井貴浩は広島、阪神で活躍した名選手。金本を慕い、広島から阪神に移籍するとき「辛いです」の名言を残します。
広島復帰後、2016年には2000本安打を達成し、広島の25年ぶりの優勝に貢献。史上最年長のシーズンMVPに選ばれます。
多くのプロ野球ファンから愛された人物。
弟、新井良太は中日、阪神でプレー。
ホームランを打った後のバット投げが有名。阪神では4番を務めた経験もあります。
エピソード
トリプルツレー
まず、「ツラゲ」という単語があります。この「ツラゲ」とは新井貴浩の名台詞でもある「辛いです」とダブルプレーの「ゲッツー」が合体した造語。新井貴浩のゲッツーのことを「ツラゲ」と呼びます。
新井さんはゲッツーの多い選手なのでこの単語が度々使われるようになります。
そして、トリプルツレーとは新井貴浩が関わりアウトを3つ取られることを指します。今回はそのうち、新井兄弟の二人が関係しているものを紹介します。
2014年4月10日の横浜戦の6回裏、無死1、3塁と阪神のチャンスで打席には新井貴浩が入ります。この時の三塁ランナーは新井良太でした。
相手ピッチャー、三嶋の一球目をキャッチャーの高城俊人が後逸。それを見た貴浩は弟良太を手招き。良太はホームベースに突っ込みますがタッチされアウトに。その間に一塁ランナー鶴岡一成は二塁に。これで1アウトです。兄に呼ばれたら、行ってしまいますよね笑。
その後、貴浩はショートゴロを打ちます。しかし、二塁ランナー鶴岡が守備妨害を取られ、鶴岡はアウトになり、貴浩は一塁に残ります。これで2アウト。この時点でツラゲは成立です。
しかしそれだけでは終わらず、次の福留の打席で盗塁に失敗し、新井さんはアウトとなります。
新井貴浩一人で全てのアウトに絡む、トリプルツレーとなってしまいました。
新井さんのツラゲ集のリンクです。
トリプルツレーは2分44秒あたりから。
アベックホームラン
2012年7月29日、良太が4回に3ランを、貴浩が7回に2ランを放ちます。
兄弟によるアベックホームランは、後述するロッテのレロン・リー、レオン・リー兄弟以来の、31年ぶりの3組目の記録でした。
2012年にもう一度と、2013年にも一度、アベックホームランを放ちます。
リー兄弟
次に紹介するのは、1970年代後半から日本球界で活躍した、兄のレロン・リー、弟のレオン・リーの兄弟です。
概要紹介
かつてロッテに選手、コーチとして在籍したジム・ラフィーバーの仲介で、1977年にロッテオリオンズに入団します。
入団一年目から本塁打王、打点王に輝きました。
1987年に退団するまでの日本球界での11年間で9度、規定打席に達しての打率3割以上を記録しています。
4000打数以上の選手の中では、青木宣親に次いで、通算打率.320で歴代2位。
レロン・リーが2年目の1978年に日本球界に連れてきたのが、弟のレオン・リーでした。
レオン・リーはロッテ、大洋、ヤクルトで活躍し、いずれの球団でもシーズン30本塁打以上を放ちます。
1985年8月10日の広島戦では、セ・リーグ記録となる1試合10打点を記録します。
4000打数以上の選手の通算打率では、歴代10位の.308を記録しています。
2003年には1シーズンだけですが、オリックスで監督も務めました。
エピソード
打率1、2位
リー兄弟を語る上でなんと言っても欠かせないのが、1980年の記録です。
この年、兄レロンが打率.358、33本塁打、90打点。弟レオンが打率.340、41本塁打、116点と共に大活躍。
レロンが首位打者、レオンが打率2位という、プロ野球史上唯一の兄弟での打率ワンツーフィニッシュでした。
アベックホームラン
ロッテ時代の2人は28回ものアベックホームランを放っています。
兄弟でのアベックホームランの通算数が次に多いのが、先述の新井兄弟の3回なのでいかにこの数字が多いかがわかります。